2011年3月11日14時46分に起こった東日本大震災において、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
私はこの大震災を経験して、生かされたと感じています。
その生かされた意味を胸に刻み、3.11を忘れずに生きています。
当時、東日本大震災が発生してから2年ほど活動にあたらせていただきました。
【仙台とどけ隊・編成チーム】
◇支援物資配給チーム『とどけ隊』
◇治療家施術家派遣チーム『いやし隊』
◇炊き出し配給チーム『もてなし隊』
◇理美容師派遣チーム『きれいにし隊』
◇エンタメ復興応援チーム『たのしませ隊』
◇被災地情報収集チーム『しらべ隊』
◇就労支援復興チーム『はたらき隊』
◇被災地復旧清掃チーム『かたづけ隊』
◇縁の下の力持ちチーム『ささえ隊』
◇被災地状況伝達チーム『つたえ隊』
◇後方支援広報チーム『ひろめ隊』
◇本部事務局総務チーム『まとめ隊』
被災地への支援物資を届ける支援をはじめ、被災された方々の体や心が少しでも楽になり癒されるよう、矯正治療やマッサージ治療、施術などをする支援、炊き出しの支援、美容室チームによる支援、イベントチームによる支援など、必要とされる支援を仙台の経営者仲間とともに考え、全国の仲間とともに活動しました。
とどけ隊は震災後4日後に宮城県南三陸町の歌津町に物資を届けることから始まりました。
震災直後、南三陸町では陸路も海路も遮断されなかなか支援が行き届かず、1週間も食べられない人たちが大勢いましたので、南三陸町から活動をしました。
その後、志津川、気仙沼、石巻、鮎川、東松島、雄勝、女川と活動範囲を広げていき、沿岸部の被災地域に物資を届ける支援は続けられました。
全国各地、海外から集まったこの支援物資を届けることが「とどけ隊」としての最初の活動でした。
被災地では、体育館の硬い板や公民館などの廊下で生活していたため、身体は冷え、疲れが出ている人が大勢いました。
自分は柔道整復師ですので、なにかできることはないかと、被災された方々に、マッサージや整体などの施術をする支援活動も始めました。
大阪に小林英健先生という私のメンターがいるのですが、小林先生が、奥様の朋子さん、そして、田中宣彦先生、田中順先生など整骨院仲間の先生方といっしょに仙台まで来てくれました。熊本からはオリンピックの強化選手のトレーナーをしていた岩上先生が、山形からは三浦先生が合流しました。
石巻牡鹿半島の鮎川の避難所、公民館での、いやし隊の活動を皮切りに、
全国から柔道整復師の先生方、治療家、施術家、セラピストの方々が被災地でのいやし隊の活動支援に来てくれました。
私は「いやし隊」と「つたえ隊」の隊長をしていましたが、この「つたえ隊」は、震災の支援をしてくれる全国の団体や学校に行き、被災地の状況を伝える活動でした。
東北で起きた東日本大震災ですが、心ある方々が自分ごとのように捉え、各地で支援講演会を開催してくれました。
この活動で私自身が1番学んだことは、【あたりまえのことなどない】ということです。
この地球上で生きている人たちすべてが、誰かに支えられ、なにかに助けられ、恩恵を受け、生かされているということを気づかされました。
人間はいつどうやって死ぬかわかりません。
でもいつかは必ず死にます。
その「生かされている命をどう使うか」自分が生まれてきたことへの感謝や生かされていることへの感謝を忘れてはいけない。そう想っています。
◆小中学生、高校生、大学生を対象に授業やイベントを実施
子供は未来の財産です。未来の日本を支える子ども達への教育のため定期的に活動しています。
「働くとはどういうことか?」「社会における仕事の役割」「志や目標を持つことの大切さ」等をテーマに、自身の経験や想いを直接伝えることで、これから社会に出てゆく子供たちに働くことの意味や将来の夢を考えるきっかけを作ることが狙いです。
また、私は父親の影響で小さい頃からいつも家族で山に出かけ遊んでいました。春は山菜採り、夏はニジマス釣り、秋はキノコ採り、冬は狩猟をして山と触れ合い、自然の恵みを頂いていました。
今は自分も大人になり、自分の家族や仲間たちと山や海に出かけ、山の恵み、大地の恵み、海の恵みを頂けることに感謝しながら休日を過ごしています。
私達の体は全て食べて物からできている。すなわち、自然界の恵み「命」を頂くことによって、自分の命がつくられ、生かされているということ。
その命のつながりの源が両親であり、おじいちゃん、おばあちゃんであり、ご先祖様であるということ。
そんな「生きることとは」のテーマで子供たちに話しています。